中村けいこのプロフィール
1971年7月19日生まれ 蟹座 О型 兄二人の3人兄弟の末っ子
家族
夫(大阪生まれ育ち・国家公務員・地質屋)、息子と娘、三毛猫(シオちゃん)の4人家族+1匹と青戸6丁目に在住
趣味・特技
料理・お菓子作り、絵画鑑賞
スポーツ全般
- 軟式・硬式テニス、野球、登山(槍ヶ岳・剱岳 等)
- マラソン(東京マラソン2度出場&完走 等)
- トレイルラン(最高48km完走 等)
尊敬する人物
福沢諭吉、祖父(中條繁八)、溝口枝里子(小児科医・旧友)
◆1971年(昭和46年)7月19日生まれ
多種にわたり事業展開をしていた両親と、8歳・6歳離れた兄の三人兄弟の末っ子として、旧:浦和市(現:さいたま市)針ヶ谷で生まれました。
東京都北区 私立ふくし保育園卒園、小学生からは世田谷区船橋、渋谷区西原で育ちました。
◆東京都世田谷区立船橋小学校
小学2年生の時に両親が離婚し母親と兄の4人の生活が始まりましたが、大勢の親族に支えられて、のびやかに育つことができました。
何事にも積極的で元気な子。
小学5年生と6年生の時に児童会の書記に立候補。この時すでに、各教室に演説してまわる選挙活動を行っていました。
クラッシックバレエ・習字・そろばん・ピアノ・琴(生田流筝曲家 安藤政輝・牧瀬裕理子 両氏に師事)を習いました。
◆東京大学教育学部附属中学校、同高等学校卒業(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)
中高6年間、軟式テニス部に所属。中学時代は都大会出場、高校時代はテニス部主将、生徒会会計局長。卒業研究テーマ「管理教育と校則」指導:寺崎昌男校長先生(現 東京大学名誉教授)
高校卒業後の一年間は、読売光と愛の事業団主催の活動に参加(重症心身障害児施設で泊まり込みボランティア)。料理研究家 長谷川よしこ先生のアシスタントを経験しました。
◆神奈川大学短期大学部商学科卒業
短大時代は、神奈川大学体育会の軟式庭球部に所属し、関東学生リーグ・全日本学生インカレ出場しました。
故・網野善彦ゼミ(日本中世史)で学び、第二外国語は中国語を履修。
※故・網野先生は私の母校の旧制高校ご出身。穏やかな物腰で奥の深い講義をされる素敵な教授でした。ウィキ情報によると、宮崎駿監督は、「もののけ姫」で、農業以外を生業とする庶民を描くにあたって網野先生の中世史観にインスピレーションを受けたと話しているそうです。
◆国際医療管理専門学校医療秘書学科卒業
主に診療録情報管理(実習先:順天堂大学病院)、および医療秘書事務を学びました。(2年間の成績首位が認められ、石原慎太郎:元東京都知事から名誉校長賞をいただく)
〜こぼれ話〜
実は短大卒業後の進路として、本来は専門学校ではなく中国・広東省の大学に留学するため独断で準備していました。香港が中国に返還されるのを機に中国経済が大きく変わっていくであろうと見越して、現地で学びたいとの思いからでした。しかし、当時の中国は、経済的にも治安・衛生面でも日本人が受け入れられる要素はまだまだ少なく、これまでやりたいことは何でも了解してくれてきた母でもこれだけは認めてもらえませんでした。あの時、強引に行っていたら、今頃何をしていたのでしょう…?
◆㈱日本医療情報センター入社(現:㈱リクルートドクターズキャリア)
OLとして過ごした会社は、医師でもあった創業者が、医師が自ら希望する病医院で働けるようにシステムを構築した、医師人材紹介業の先駆け企業。㈱リクルートに買収され現在に至っていますが、当時、私は開業支援室にて市場調査・書類作成を担当していました。
◆1996年(平成8年)7月結婚
夫(当時はゼネコンの社員)の仕事(技術職)の関係で、山梨県上野原市にて新婚生活がスタート!
私自身の仕事は社長秘書も兼務するようになっていましたが、妊娠によるつわりが酷くなり、JR中央線の2時間立ちっぱなし通勤で倒れてしまい、余儀なく退職をすることになりました。
◆家族と青戸6丁目に在住
夫の転勤に伴い、現在の青戸に住むまでは、堀切・小菅に隣接した足立区綾瀬の社宅において、二度と戻ってこない我が子の子育て期間を大事に過ごしていました。家庭の主婦だからこそ手抜きはしないようにしていました(今は逆です! )
毎日の炊事(料理・菓子作り大好き)・洗濯・掃除・アイロンかけ・買い物から始まり、子どもとの公園や児童館遊び、親子交流、習い事の送迎、子どもへの学習指導、そして料理教室やママさんビーチボールバレーに参加(葛飾区内の小菅東スポーツ公園・白鷺公園・上千葉砂原公園・水元公園はよく利用していました)。
幼稚園では卒業対策委員、小学校ではPTA役員(当然!?)。町内自治会や町内子ども会の役員としても活動し、息子が軟式・硬式少年野球チームに所属していたこともあり、土日は家族あげて応援・お手伝い…。子育て中の母親は年中無休です!
主婦と議員の二足のわらじを履いた生活は、家族の応援と協力があるからこそ可能にしています。
◆2008年(平成20年) 政治の世界へ
地域という暮らしの現場の中で、家族を生活の中心に置いて過ごしてきたあいだに、未来を担っていく子ども達のために、積極的に行動を起こしたいと考えました。夫は大賛成でした。「政治は、地位や名誉欲のある人間ではなく、母性をもって社会を良くしていこうと思っている、女性がするべきだ」と、後押しをしてくれました。